喪失とは、無に帰すること

失って

はじめて大切だったと

気付くことがある、という

 

わたくしには、そういうことはない

 

失う前から

その価値を認めていたから

かもしれない

 

あるいは

失う前から

その価値を認めていなかったから

かもしれない

 

あるいは

長年の経験則がある種の心的防御反応を

作り上げてしまったのかもしれない

 

自分の人生において

大切な価値観の見落としがないように

ストイックに目を凝らして生きている

 

失って

はじめて大切だったと

気付くことがある、という

 

おそらく

そのときどきに

もっと大切なものがあって

最初から大切か

最初から大切でないか

判断しきれなかった人の言葉だろう

 

羽ばたく鳥であろうと

卓上の一つしかない

消しゴムであろうと

腕時計であろうと

たとえ人間であろうと

失えば、すなわち、無

 

失って

はじめて大切だったと

気付くなど

現存在の価値が分かっていない、

愚かな証だ

ましてや

大切だと分かっていて

失って嘆く場合は

なおさらに愚かしい

 

かりにそれが人間だとするならば

失わないようにするために、

自分の価値観を

守ろうとするのではなく

自分の価値観を無にしてでも

大切なものを守ろうとするだろう

それを阻むのは

寿命だけだと考えるだろう

これは決して、

乳呑み児にできる思考ではない

成熟した成人でないと

出来ない考え方だ

 

大切なものは、

一つだけとは限らない

一つに絞る必要もなく

どちらが大切かを比較する必要もない

比較は、礼儀に反した卑しい考えだ

 

自分の価値観を守ろうとするものにとって

大切なことが自分の外側にあるのではなく

実は、自分自身の中にあるということに

どうしても気付けない

 

自分の判断が正しいと、

修正不能なレヴェルで開き直って、

思考を停止しているからだ

その無自覚さは、

他者から影響を与えても

変えることは出来ない

 

自分で気付くしかない

 

自分で気付きさえすれば

失うことはなかろうに

 

そして、あとで振り返って

しあわせとは言いがたい、

あの言葉を吐くことしか残されない

 

わたくしには、そういう言葉はないが

自分の価値観を無にする、

すなわち非日常的没我という言葉がある

したがって

大切なものを、自ら失うことはない

勿論、そういう存在でいても

無自覚・無理解のまま立ち去っていくものは

引き留めることはしない

 

喪失とは、無に帰すことにほかならない

 

無に帰すとは、すなわち

幸も不幸も存在しない二次元の世界、

無々意識の領域へ葬り去る

寿命の終焉儀式である。

 

固有名詞など、

記憶にとどまることすら、ありえない