鉛筆を持つ感触 (2)

中学の夏休み

 

鉛筆は使わなくなった

シャーペンに変わった

 

勉強に目覚めた

 

朝から晩まで

本を読むか

レコードを聴くか

勉強するか

 

自分の部屋で明け暮れた

 

中3にもなると

午前中は、塾の夏期講習

昼から一息入れた後、

勉強を再開する

 

TVは自然と見なくなった

いつもラジオを聞きながら

勉強していた

 

寝るのは朝5:20 AM

毎日そんな生活が

習慣になっていた

 

定期テスト程度なら

準備をさほどしなくても

主要五科目は

500点満点で480点を

割ることはなかった

 

だから定期試験前は

野球部員の友達たちが集まる家に

勉強を教えに行っていた

 

鉛筆を持つ感触は忘却の彼方

 

硬いシャーペンのせいか

中指に出来たペンだこが

硬く分厚くなるので

爪切りでそぎ落としていた

 

どうして勉強なんか

するようになったのか?

 

きっかけは

ノー勉で受けた

中学受験の失敗にまつわる

さまざまなエピソード

 

小学生の頃は

何一つ勉強もせず

夏は山へ

オオクワガタに

遭遇することを夢に見て

ムシとりの毎日

 

少年野球に熱中していたので

グランドを駆け回る毎日

 

冬は魚釣りに夢中

 

勉強など何一つしていなかった

勉強しようと思ったこともない

 

それでも、母親は

僕に、たったの一度も

勉強しなさいと、

言ったことがない

たったの一度も。

 

学校の算数のテストは

左半分の計算の所だけ

なんとか答えを書いて

右半分の文章題は白紙だった

右半分に何が書かれてあるか

読もうともしなかった

 

漢字テストなんて勉強したこともなく

50点以上取れたためしがない

 

宿題もしたことがなかった

だから、

担任の先生の機嫌が悪いときには

教室の後ろに、授業中ずっと

立たされていた

 

それでも僕は

オオクワガタや野球や釣りのこと

ばかりを考えていて、

飽きてくると

隣のクラスにいる

大好きな女の子のことを

考えて、ときめいたりしていた

 

授業の内容には

一切、聞き耳を立てなかった

担任の先生は僕の存在を

よくは思っていない

表情と口の利き方でわかっていた

だから、そんな人の言うことに

鼓膜すら響かない

別に担任に認められなくても

気にしないことにした

 

そんな状況にいたとき

母親に言われた

「学校の先生は偉そうにするけど

そんなに偉いものでもない。

中には本当に立派な人もいるけれど。

だけど、お前の担任は、

生徒の気持ちをどこまで考えているやろ

考えてないやろ、多分

そやから、

そういう大人にならないように

することや。

アホに本気で相手になるな」と。

 

友達にからかわれることもなく

逆に教室の後ろから眺めていると

いろんなクラスメイトの様子が見えて、

授業参観にきている保護者みたいな

気持ちでいるのが、面白かった

 

自分は何も悪いことをしているつもりはない

先生から見れば、宿題をしてこないダメな子

かもしれないけれど

 

僕はみんなと全く別の世界を

生きているような感覚だった

その不思議さが楽しかった

 

 

そんな僕に母親があと4ヶ月ほどで

中学生になる時期に

1冊の本を手渡した

 

立命館中学のいわゆる赤本だった

 

近所の酒屋の兄ちゃんが通っていた

お前も受けろ、というわけだ

 

興味もないが、

勉強をしろと一切いわない母が

どういう理由で

そんなこと提案してきたのか

考えても、皆目わからない恐怖感から

とりあえず、そうすることにした

 

当時、中学受験は3月だった

もちろん受験対策などいっさいせず

受験会場に向かった

 

手応えは

算数0点・理科0点・社会0点

問題を読んでも

何のことかさっぱりわからない

 

釣りも野球もオオクワガタも

試験には何の役にも立たないんだなって

冷めた気持ちで、

よくこんな問題解くために

神経をすり減らしたり出来るもんだと

周りの人達に感心した

 

国語は適当に答えを埋めたが、

漢字の書き取り問題で

「かるい」が書けなかった

「転ぶ」しか思いつかなかったので

「転い」と書いておいた

 

「かるい」という漢字が書けなかったのが

相当ショックだった

 

他にも受験科目があった

 

図工は鉛筆を持った手を

スケッチしなさいという問題で

最初は、右手に鉛筆持ったまま

スケッチなんか出来ないじゃないか

変なこと聞くなあと思って

周りを見渡した

 

みんなは左手にも鉛筆を持ち

左手に持った鉛筆を

右手に持った鉛筆でスケッチしていた

 

なるほどと思い、

絵を描くのは得意だったので

自分でも惚れ惚れするくらい

うまくスケッチできた

 

体育もあった

バスケットボールを

目的地までドリブルして

そこで立ち止まり、

ボールを頭上に投げ上げて

身体をぐるっと一回転させて

キャッチするというもの

 

野球少年の僕は

ドリブルもままならず

目的地点で

バスケットボールを投げ上げたつもりが

試験監督の顔面に直撃してしまった

 

集団面接もあった

5人いたので

誰かの言った答え方を

ちょっと変えて、

しらを切った

 

多分受験生のなかで

最下位だったろう

 

家に帰ると母が、どうだった?

と心配そうな顔をした

 

受かりっこないのに、

できたか?と少しは期待している母親を

悲しませるわけにはいかないと思って

「できたよ」と言ってしまった

 

嘘をついてしまった

 

合格発表の日、

親戚のおばちゃんが

合格発表を見に行ってくれた

 

不合格を知って、

母はショックのあまり

階段から転げ落ちて1週間寝込んだ

まさか母親が「転ぶ」なんて・・・

皮肉なもんだ

 

「かるい」という漢字が

書けなかったこと

 

母親に嘘をついて、

怪我をさせてしまったこと

 

こんな大馬鹿者に

期待してくれていたこと

 

それが、勉強する原動力になった

 

勉強って、誰でも、

やれば出来るようになる

僕はそう思っている

 

中学生になって

勉強なるものに

真剣に取り組んでみて思った

 

学校の勉強程度なら

蒸し暑い真夏に

山の中をさまよって

オオクワガタを探すより

よっぽど簡単なことだと

 

 

鉛筆の感触を忘れて

シャーペンに持ち替えてから

僕の勉強は始まった

 

母は、また、本を手渡した

今度は2冊も

 

山本有三の

「路傍の石」と

壺井 栄の

「母のない子と子のない母と」

 

僕は読まなかった

 

いまだに持っているが

読むタイミングを失ったままだ

 

一万冊以上読破したにも関わらず

その本は既読書のなかに含まれていない

 

そろそろ、読んでみようかと考えている

 

40年以上前のかび臭い、

日焼けした2冊の本

 

読めば、当時の母の思いが

少しでもわかるのだろうか

 

それを知るのが怖かった

 

2冊がカビて日焼けしても

捨ててしまうことは出来なかった

 

なぜなんだろう

 

思い切って、読んでみようか。