いびつな真珠
二十歳前後
バロック音楽にはまっていた
チェンバロの音色が
安らぎに必要だったから
かもしれない
当時の心の有りようが
中世ヨーロッパへの
ノスタルジックな感傷に
類似したものだったから
かもしれない
図書館で音楽史に関する
書物を読みあさっていた時期があり
「バロック」の語源がポルトガル語の
「いびつな真珠」に遡るらしいということを
知って驚いた記憶がある
自分のイメージを
「形の悪い、磨き途中の真珠だ」
と考えると救われる気がしていたからだ
母親が「あんたはなあ、金の卵や。
金玉ちゃうで。金の卵や。
そやけどなあ、
電信棒で頭を何回も何回もぶつけんと
その意味はわからんやろなあ」と
常々言われていたこともあって
自分なりの解釈をくわえて
「形の悪い、磨き途中の真珠だ」と
考えていた
自分自身の中に収まりきらない
苦悩を抱え、
はち切れそうになるときに
バロック音楽を聴いていた
「いびつな真珠」
そういうより抽象的な表現で
自分を評価してみると
なんだか前に進めそうな気がした