二十歳〜はたち、という言葉
「二十歳(はたち)」
使ったことのない言葉
使う機会の無かった言葉。
心は閉じていた。
言葉の受け渡しの必要が無い、
自分の奥底を探検するには
「自分の言葉」はいらなかった。
深い洞窟の中へとつながっている
古ぼけたロープを
力強く握りしめるように
「他者の言葉」だけを頼りに
自分自身がどこにいるのか、
探検していた。
渾身の力を使い果たし、
ようやくたどり着いた
洞窟の終点には
あきれるほどに
<自分はどこにもいなかった>
もう一つ
ぶら下がっているロープを頼りに
出口まで、なんとか、たどり着いた。
そのとき
もっと
力強く握りしめていたロープが
自分自身であることに気付いた。
<僕は強くなった>
「自分の言葉」を頼りに
歩き始めることが
出来るようになった。
「二十歳」は終わっていた。
「二十歳」という言葉を
使ったことがないというのは
自分を探す旅に出ていたからだろう。
「成人式の記念写真」
僕にはない。
だけど
「形だけの思い出」より
ずっと大切なものを
僕は掴み取った。
フォトグラフにはできないが、
アイデンティティの
確かな手応えを握りしめ、
僕は生きている。
僕は生かされている。