ダリの孤独

最近読んだ本の中で

なかなかいいことを書く人が

いるものだと思ったことがあった

「愛とは欲求が満たされた喜びの記憶」

このフレーズは

犬飼ターボという作家が書いた言葉だ

何も男女の間の感情だけではなく

人間と人間の間に生まれる

自然な感情のことを

愛と呼んでいるのだろう

人間の感情に永遠はない

心が満たされた

喜ばしいエピソード記憶によって

我々は支えられて生きている

「記憶の固執」、

まさにサルバドール・ダリの絵画で

描いている世界に通底するところがある

気はするのだが

ダリが存命で、直接この話をしたら

彼はおそらく笑って、

JOCKERのように戯けて

瓶ビールを片手で振り回し

がぶ飲みしながら

どこかの街の路地裏通りへ

消えてゆくだろう

ダリの孤独は

すなわち

わたくしの孤独でも

あるかもしれない

個性的に生きれば生きるほど

自分自身が空洞化して

魂の置き場所も

いつの間にか

勝手に変えられてしまい

身体どころか

魂までもが

定住の場を失って、

あるいは元々存在しえず

荒涼とした砂漠の中で

歩き続け

振り返ってみると

その足跡さえ

どこにも見えなくなっている

ただ風の強さによって

整えられた波形が

並々と連なって

人生の景色を

モノトーンな映画に

変えてしまう