西田哲学

19歳の時に読んだ

西田幾多郎氏の

「善の研究」

当時、全く分からなかった

それでも意地になって

最後のページまで

文字面を追いかけた

60歳の今

あの頃と同じ本を読んでいる

「善の研究」

リーディング・グラスがないと

字が見えないから

ワイド版の岩波文庫で

読んでいる

今ならわかるだろうか

わかるけど、分からない

分からないけれど、わかる

40年前の勢いで

文字面だけを追いかけて

読むことはできない

勢いに任せる若さゆえできたことは

その時には必要なことだったのだろうが、

今の僕には有意義な所作とはいえない

10代、20代は

上流の岩を砕く急流の流れを生きた

今は

ゆったりとした下流域の流れの中で

激流の昔をほんの少し振り返りながら

行く川の流れは絶えず

もとの流れにはないことを実感し

餌のついていない釣り糸を垂れて

時代に左右されない

いにしえからの深い考えに

うなずいている

噛み締めるように

わかることを味わい

噛み締めるように

分からないことを

味わっている

それが

何故だか、うれしい

生き急ぐ必要もなく

今できることを

今できるペースで

味わい楽しむ

わかることも

分からないことも