ある冬の日

ある冬の日、40年くらい前。

京都駅から彦根駅へ向かっていた。

 当時は週休二日という概念はなく、土曜日でも大学の講義は午前中開かれていた。医学部に進む前、滋賀大学の経済学部に在籍した時期があった。その頃のことである。

 外の寒さに比べて車内はムッとするような湿っぽい暖かさに包まれていた。暖かさに満ちた車内では、まるで安物の毛布にでもくるまって、寝落ちするかのように呼吸が落ち着いてくる。やはり、いつの間にか眠ってしまった。

 気がつくと彦根駅を通り過ぎて米原駅まで来ていた。今もそうだが、当時も、米原駅は鉄道の要所で東海地方にも北陸地方にも、あるいは新幹線に乗れば東京まで行ける自由度の高い駅だった。

「さて、どうするか。」

Uターンして大学の講義を受けるか、関西本線で名古屋に向かうか、それとも北陸本線に乗り換えて金沢まで行くか。3つの選択肢から1つを選ぶ土曜日が何度もあった。

 大方、北陸本線を選んだ。彦根駅を過ぎたあたりから車窓の景色が次第に変わる。雪深い地方にいるような雪景色が一面を覆っていた。

 急に雪の降る街並みが恋しくなって、いても立ってもいられず、金沢へと向かう癖が出来上がっていた。特に旅行の意識もなく、兼六園を散歩したいとか、近江町市場で甘エビの光沢を眺めたいとか、その程度のことしか考えずに電車に乗る。

 金沢駅に着くと、白い息を吐きながら、向かう先はホーム内にある立ち食いそば屋。当時の自分を心まであたためてくれる、たった一つの安らぎのようなものだった。きっと白い街並みを歩いても、わたくしを知る人はひとりもいないだろう。

 つまりは、一杯の立ち食いそばを食べるためだけに金沢まで足を運んだ。食べ終わると、ホームからは出ず、雷鳥に乗って京都まで戻るのだ。他人から見ればもったいない無駄な行為なのであろうが、当時の自分には遠くにいる恋人に会い、こころを暖かさで満たされて、自宅に帰るような特別な儀式だった。

 あの、駅のホームの立ち食いそば一杯に匹敵するようなぬくもりをもつ人は、いかほどにいただろう。精神の緊張をほどき、ぬくもりを与え、安堵感に満たされる瞬間がどれほどにあっただろうか。

 寒さに震えて白い息を吐きながら、心のこもった、シンプルで奥深い味覚の満足感に匹敵する何か。白い吐息は白いままだが、暖かな白い吐息に変わっている実感。

 わたくしはそれを、ずっと探し続けているような気がする。