真実は何処にあるのでしょうか

コロナ禍以降、医療との関わりの中で政治という領域に関心を持たざるを得なかった。既得権益とか政治団体の在り方とか、権力とか、忖度とか、政治の世界に限ったわけではないにしても、役職を看板に特権をひけらかし、お金の匂いがたくさんするような所に様々な人たちがいっぱい集まって、しがらみがほどけない糸くずのように絡み合って、社会生活の裏側でひしめき合っている闇の世界を見ざるを得なくなった。誰が悪いのかなんて全く分からない。知りたくもない。いくつもの大きな権力と忖度が警察や法曹にまで圧力をもってし、真実は歪められてゆく。自分たちの享楽は横に置いておいて、「この俺様に逆らって生きていけると思うのか」的圧力に対して、すべての忖度は終わらない。何が反社で何が反社でないのかさえ、よく分からなくなる。「そんなふうにしていたら、誰かの迷惑になるよ」的アドバイスなら、まだ合点がいくだろうが。既得権益を死守しようとする人たちは、それを脅かそうとする有能な若者たちに対して、あらゆる手段を講じて、抑止力を行使する。それはインターネット・テクノロジーからメディカル・サイエンスの範疇にまで及んでいるのは恐怖ですらある。斬新で世界に通用するようなテクノロジーの進歩すら、平気で押さえ込んでしまう。報道すら真実を100%伝えているとは限らず、権力とスポンサー力の相互忖度によるフィルターをいったん介して取捨選択された情報が、我々に伝わってくることに、今更ながら再認識させられてしまった。それでも、何も知らない民間人は、それを鵜呑みにして、世の中を見てしまう。気付いたとて、何も言えない。自分の意見を言い、納得するまで話し合う相手も周りにいない。だからといって、自分と考え方の違う人の命をあやめてしまことはよくない。地上波以外のネット端末にどんどんスポンサー力が移行していくために、テレビ・メディア業界は時代の流れとともに衰退の一途をたどり、一方、新聞に書いてあることも何処まで信頼していいのか分からなくなった。民意が地方自治に伝わり、民意が国家に伝わり、我々が安心して暮らし続けることの出来るコミュニティを創成する日は来るのだろうか。Half-truthの情報の嵐の中では、目を大きく見開いて社会を見ると、苦しくなってしまう。地方自治単位でも、国家単位でも、真剣に考えれば考えるほど息苦しい。もちろん、何も今に始まったことではない。古来、世の無常に気付いて、出家せざるを得ないと考えた高僧は、ご立派だと思う。それすら出来ずに日常を何らかの文句を吐きながら暮らしているのなら、自分で決めた僅かな事柄を大切にするためだけに、せめて、生きていよう。政治に無関心な人が多いと嘆く人がいるけれども、今のこの状況、政治に無関心な方がしあわせに過ごせる気持ちさえする。「知らぬが仏」「知らぬが花」。仕事に疲れて、つまらぬテレビ番組をみながら、お酒をひっかけて、笑っていられること以上のハッピーな気分は、あるのでしょうか。本当に、そんなんで、ええのかな?