「予想」と「予言」

「予想」という形態で

後世に課題を残す柔軟性

結構良い仮説なんだけど

自分で解決する時間がないので

後に続く人の誰かへ

予想だけしておくから

証明のほうはよろしく。

そういう

余裕のある「予想」を

あれこれ考えることがある。

本当は証明できていて

答えをしらばっくれるのは

よしにして

観念的な「予想」をして

その後の科学や哲学によって

解き明かされていくのは

楽しそうだ。

ただ、これに対する暫定結論を

確認できないのが残念だけれど。

たとえば、

正確な表現では全くないのだが

比喩的に表現すると、

宇宙の形が丸いのならば

一本のロープでぐるっと周回して

そのロープを回収できるというような

とてつもないことを

位相幾何学の立場から言い出した

「ポアンカレ予想」

解いた学者がいるらしい。

こういう「予想」が

数学領域に多く見られる。

一方で、

「予言」などといわれているものは

科学とは別ジャンルの表現のように扱われ

当たるか外れるかだけに注目が集まり

誰も証明しようとは試みない。

手段自体が見つからないからだろうか。

確かに眺めているだけで

心を奪われてしまうくらい

美しい現象がある。

素数の螺旋を見たことがあるだろうか

ミクロからマクロへ尺を広げてゆく時、

素数の螺旋は

自分が想像する宇宙の形にしか見えない。

僕はそれでいい。

宇宙は閉じた空間だとか

複数あるはずだとか

そんな実在を考えるのは

頭が痛くなるから。

素数の螺旋のように宇宙が広がって

無限に続いていればいいなあと

想っておこうと考える。

「予想」「予言」どちらも

触れることなく

神秘的なまま存在していれば

美しく輝いたまま。

火星に移住するための方策を練るのが

好きな人もいれば

月で兎が餅をついているって想うことが

好きな人もいる。

ユニコーンにはなれない僕は

両方好きかもしれない天秤座