しじみ貝

とうてい出来ないことを

例えるときに

「蜆貝にて大海を換え干す」とか

「蜆貝で海を量る」などと

言うことがある

確かに

蜆の貝殻で

大海の水の量をはかることなど

無理な話

なぜ、唐突にこのようなことに

触れるのか?

母親に昔

「しじみ貝に火を通す」

という、不可解な命題を与えられ

自分で考えろと言われた事がある

その会話の文脈は覚えていない

「蜆貝で海を量る」の

言い間違えではないかと

そのままにしていた。

ところが最近

やはり母親が「しじみ貝に火を通す」

と口にした。

急にフラッシュバックが起こって

やはりその時も

会話の文脈を忘れてしまった

母親の造語だろうか。