わたしは、ゾンビです
烏兎匆匆(うとそうそう)
月日が経つのは
慌ただしく早いもの
振り返る間もなかった
五十歳台になると
烏兎匆匆の意味を考える
時間の余裕が
現れるようになった
自分自身に対して
人生五十年、そう思っている
その後は・・・
ゾンビとして生きていく
自分自身は
ゾンビのようなものだと
言い聞かせている
自己というものは
大勢の他人の考えや行動
そこから学んで出来た
1つの総体
自分ひとりで自己を
形成することなど出来ない
五十歳で区切りをつけた
四十歳台までは自分に限界を作らず
何でもイエスで通すのが信念だった
五十歳になると
それは健康面を含め
無理と判断し
自分に、ノーと断る、限界を
設けざるを得なくなった
そして、それ以降は
五十年間で蓄積してきた
言葉や考え方、行動の仕方を
足したり、引いたり、
掛けたり、割ったりしながら
統合していく作業
創作していく作業を
続けていこうと考えるに至った
社会的貢献
自己実現
周囲への感謝
世界的な貢献までは
出来ないかもしれないが
UNICEFに可能な範囲で
支援を行い
決して上から目線ではなく
浮遊するゾンビのように
嫌がられたり
怖がられたり
するかもしれないけれど
寄り添いの目線で
少しでも
健康増進や
貧困改善や
教育の充実に
いくらかでも役に立ちたいと、
現に、実践している
これからの
予測のつかない未来を
背負う子供達のために
自分に、さまざまな観点から
ストレスのたまらない程度に、
出来るかぎりの範囲内で
やれることをしていこうと
決めた
限られた時間内でしか
頑張れないけど
医師として地域社会に貢献し
蓄積してきた言葉や
天から降ってきた
言葉のようなものを頼りに
創作した詩や童話を本にして
ゾンビですら
なくなってしまっても
本から、次世代の人達に
自分のメッセージが伝わるよう
準備をしておこう
決してネガティヴな発想ではない
ポジティヴな発想で生きている
ゾンビだから
自分のしたいように
勝手気ままに生きていく
誰に向かって
話しているわけでも
ないけれど
陽気なゾンビは
自由に過ごして
したいようにする
近代理性が作り出した
社会的規範に
全くもって
うんざりしながら
原始から引き継がれて
いるにもかかわらず
機能を制御されている
心の奥の叫び声を
ゾンビとして
発していく