アンティークな廊下

数年ぶりに

以前、かよったことのある

「ある」病院に足を運んだ

 

新棟が出来て

外観は綺麗になっていた

 

しかし、中身は

迷子になりそうなくらい

迷路が増えていた

 

失礼ながら

感じたままに表現するなら

まるでアリの巣のようだった

 

通ったことのない廊下を

右左と歩いている内に

突如として

見覚えのある

場所が現れたり、

また知らない場所に

立ち返ったりした

 

入院の時間帯予約が

書類に明記されている

にもかかわらず、

 

おそらく

病棟からの距離の遠さに

時間がかかることと

人手が足らないのだろう、

むかえに来てくれる

水先案内人もおらず

 

受付窓口では

素泊まりの

駅近ビジネスホテル並みに

笑顔一つなく

機械的に指示を受け

 

高級感も安堵感もなく

重い荷物を引きずりながら

 

病院の中で

標識を見上げるたびに

不安と向き合い、

 

何度も道をたずねながら

目的の病棟の入り口に

ようやく、たどり着いた

 

帰り道

車を運転しながら

 

あんなに狭い廊下

だったろうか

 

あんなに狭い病院

だったろうか

 

院内で歩く距離は

倍以上に増えたのに

とても狭くて小さい

感じが離れなかった

 

そう。そういえば、

アンティークな家具を探して

店に入った時の

 

ランダムな時代に作られた

家具がひしめき合って

 

その間を所狭しと通る時の

心地よい息苦しさに似ていた

 

だけど、

アンティーク家具を

探しているわけでもないので

 

部外者にとっては

ただの迷い道を歩く

孤独な通行人の

イメージだけが残り

 

自分ではなく

人の形をした

不安感が一人歩き

しているに等しかった

 

 

いまどきの医療は

高度な医療を提供する側面と

患者様へのサービスを提供する側面を

兼ね備えていることが常識だが

後者が忘れ去られている印象が拭えない

 

それは病院であっても

顧客満足度を配慮した

経営学を真に学んだことのない

部内者には、わからない。

 

実は、

患者として

知らない病院に訪れれば、

すぐに気がつくことなのだが。

 

病院という環境は

誰が満足するための、

誰を満足させるための、

施設であるのだろう

 

記憶にある、以前のイメージとは

全く別の病院を

客観的に眺めている気がした

 

実際にアンティークな廊下を

歩いていて思ったのは、

 

(その病院にたどり着くまでは

全く想像だにしなかった感情)

 

不思議に、

自分が患者として入院するなら

間違いなく、別の病院を選ぶだろう

ということだった

 

サウダージは

そこにはなかった