パターン認識
パターン認識
学習ってほとんどがそうでしょ
大学入試の数学だって
千問ほどのパターン解法を
理解して、過去問を二百ほど
まねして解けるようになれば
合格点はとれる
難しいとされる問題のほとんどは
解法の切り口が思いつきにくいか、
パターンが沢山絡んで
大きな解答の道筋が
見えにくくなっているだけ
3つくらい山を越えれば
答えが見えてくるはずだ
過去問を丁寧にやれば
一見考えにくくしている
解法の糸口の見つけ方が
過去問と似たようなやり方で
見つけられないかと考える
クセが身につく
いわゆる傾向と対策
もともと正解があるのだから
クイズみたいなもんだ
そんなことができるだけで、
賢いと言われる
英語だって
文法を一通りさらって
英文の骨格になる構文を
一揃い通ってしまえば
英文を読む量を
増やしていくたびごとに
入試に必要な語彙も語法も
破格構文もみんな出てくる
過去問を二十五年分もやれば
大学入試に関してなら
やることがなくなる
そのあとは皮肉にも
日本語次元での理解・表現力と要約力
コミュニケーション能力
で英語力向上の頭打ちが解消されていく
異文化の理解には母国語力のベースが
どうしても必要になることに気づく時が来る
四技能と言われたって
ライティングのコツをつかんで
リスニングを繰り返し
スピーキングの反射神経を鍛えるだけ
出てくるテーマは、実はほぼ有限
入試の物理も化学も生物も同じようなもの
数学よりもずっとずっと数の少ない
パターン認識
この間
某国立大学の数学科の先生と
直接話す機会があって
その時、おっしゃっていたけど
数学オリンピックで
結果を残している学生さえ
彼らがもつ能力は
新しい研究の発想力という観点からみると
ほとんどが、あてにならないと。
結局、数学オリンピックの過去問を覚えて
パターン認識で
数式や図形をいじってきただけだから
話を聞いて驚いた
ちょっと冷静に考えれば
当たり前のことなのだけれど
あるレベルまでいくと
パターン認識だけでは
創作力や創造性には
結びつかなくなる
そういえば
数学のノーベル賞と称される
フィールズ賞をとった
広中平祐博士も
「湧源」というキーワードをもとに
昔、講演会で
同じようなことを
お話しされていた
だけど
大学や大学院入試までは
パターン認識で解決がつく
受験勉強がよくできて
学校の成績がよくても
もちろん
それに越したことはないが
パターン認識の練習をしているだけ
塾だってそう
大業なものではなく
パターン認識の練習しているだけ
それでいいなら、
そこまでで話は終わってしまう
多くの人はそうだから
だけど、「優れた」研究者になりたい場合は
それだけでは、話は終わらない
すごいやつの話や書籍を通して
あれこれ考えたり、もともと
持っているかもしれない
創造力を自分で磨くしか
ホンモノの思考力や発想力は
獲得できないかもしれない
それに運も加わって
とてつもない発見がうまれる
パターン認識だけのドライな世界ではなく
知的好奇心のかたまり、
途方もない情熱のようなものが
必要になってくる
受験生と「優れた」研究者の
レベルは大きく大きく乖離している
それは
大学や大学院に入った
あとにならないと
実感できない