十代の頃
いいよね
あの時代
あるよね
誰しも
あの頃
よかった?
あの頃
苦しかった?
気持ちは
内面に向かい
自分探しを始めていた
見つからずに
苦しんだ
気持ちは
周りに向かい
気の合う友達と
大人の価値観に
悪口を言って過ごした
好きな女の子に
頭から相手にされず
どうしたら
相手にされるようになるのか
悩んだが
なんともならなかった
楽しかった
楽しくなかった
自由で気楽だった
高校サボったり
学校をやめることばかり考えていた
女の子に振られ
勉強に飽き
読書と音楽と古い映画に逃げ込んだ
孤独でいたかった
サザンの世界がうらやましかった
尾崎や太宰には近づかなかった
浜省や川端、芥川と仲良くしていた
黒澤の影武者をみて、
赤と黒のコントラストがまぶしくて
急に映画に目覚めた気がする
古い洋画にも邦画にも
白黒なのに
夢がいっぱい詰まっていた
あるとき、
ビリージョエルの楽曲に
こころが刺さった
ショパンにバッハ
グレゴリオ聖歌
バロック音楽にこころが染みて
もう一方で
YMOに新しい時代を感じていた
ニューアカデミズムが到来したと
世間は言うので
「チベットのモーツアルト」に
はまり込んだ
中沢新一という
とてつもない優れた学者がいることを知った
梅原猛の本を読んだときと
同じような感覚と戦慄が走った
他にもいるかなと
「逃走論」や「パン・サル」を読んでみたが
だんだん、むしろ、わからなくなり
結局、
人類学が自分にはピタリときた
読書指向はバラバラで
収拾がつかなくなっていた
レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」と
ジョン・クーパー・ポイスの「孤独の哲学」と
山口百恵の「蒼い時」と
ビートたけしの「あのひと」と
「歎異抄」に「新約聖書」、
宮沢賢治や高村光太郎、藤村の「詩集」を
繰り返し繰り返し読んだ
どうしてそんなことをしていたのか
よくわからない
繰り返し繰り返し
なのに今、
内容を何も覚えていない
疾風怒濤の青年期
マージナルマンとしての狂ったライオンを
とっくに卒業してしまったようだ
だけども
ちょっと
少しだけ
戻ってみたい
あの雰囲気
あの時空間
今時、誰も言わなくなった
青春ってやつなんだろうか
青春って
スマホもパソコンもCDもない
閉じた時代って意味なのかな
情報を集めるために図書館へ
来る日も来る日も通ってた
バブル景気とは
無縁な生活と精神状況だった
振り返ると
思い出は
輝いて見える
それでいいんだよね