十年後の私へのメッセージ
中学を卒業するときに
よくある課題
「十年後の私へのメッセージ」
たとえば、ある十五歳の青年の書いた
メッセージの一例
「十年後の自分へ
あなたは今、何をしていますか?
あなたは今、どこにいますか?
あなたは今、何を考えていますか?
何をしていても、
どこにいても、
何を考えていても、
あなたはあなたです。
どんなにつらいことがあっても、
めげずに頑張ってください。」
五十路の僕が
書いたらどうなるだろうかと
考えてみた
「体調は大丈夫か?
全部自分で背負い込んで
四十代まで無理しすぎたからな
高血圧に動脈硬化
メニエル病や憩室炎
頸椎ヘルニア
上手くコントロール
出来ているだろうか
他にも病気をかかえてはいないかい?
薬を忘れずに飲めよ
仕事は順調か?
患者さんの役に立つ存在で
いられているかい?
おまえの存在価値は
それしかないんだからな
臨床系の医学知識は常に
Up-to-dateしているかい?
相変わらずのNature geneticsも
購読は続けることだ
拡大コピーしたら
まだまだ字が見えるだろう
診療報酬なんか気にして
医療をしてないだろうなあ
お金の計算はおまえさんには
似合わない
おまえさんの値打ちは
患者さんの役に立つかどうか
患者さんから評価されるかどうか
それだけだ
偉い人からの評価に左右されるなよ
あくまでも患者さんからの評価だ
子どもたちは
おまえの手を離れて
自己実現に向かって
真面目にやっているかい?
もうおまえの出番ではないはず
ほっときなはれ
そして、自分と向き合う時間を
もっともっと作るんだ
詩作は続けているのか?
五千編は超えたか?
そろそろ何かが
みえてくる頃じゃないか?
おまえのライフワークの一つ
時の流行に流されず
異文化を超えて伝わる
言葉の表現は見つかったか?
ポルトガルでの生活はどうだ?
おおきなステンドグラスで装飾された
図書館みたいな本屋さんからほど遠くない、
海と風とありふれた人並みの日常が感じられるところで
のんきに暮らせているかい?
1年のうち2ヶ月くらいにしておくことだ
誰かに同行してもらうようにしないと
異国で野垂れ死にするのはみっともないよ
大学の講義は
性格的に断りにくいだろうけど
週一回以上引き受けないと、
決めておくこと
自分と向き合うことに専念して
時間を使いなさい」
閑話休題
こうしてみると
十代でかかれた十年後の私は、
希望と可能性100%に満ちていて
現実性が0%でも輝いていて
いとおしく、うらやましいが
五十路でかいた十年後の私は、
あまりにも現実的で具体性が過ぎて
つまらないかもしれない
いつまで生きていられるのか分からないけど
それでも十年後の私にメッセージを
送り続けたいと思う
人間の生きざまを支えているのは
自分自身に課した
目的や目標なのかもしれない
それがある人は幸せで
それがない人は寂しい