生きるとは、寿命までに残された時間のこと

40歳までは

無理が利く

どんなに自分の身体を

酷使したところで

乗り越えられる

自分の限界は

自分で作ってはいけない

自分の限界は

他人が作るものだ

いかなる事にも

自分を省みずに挑戦して

限界を超えてゆく

40歳を超えても

無理が利く

しかし

それまでと同じ調子でいると

身体の一部に支障を来す

そろそろ自分の限界を

自分で作る準備をするべきだ

でないと

上手く再生できずに

ガタガタと壊れる

これは無理です、と言っていい

50歳を超えると

無理が利かなくなる

ソンビ・エリアに突入したと

考えた方が良い

寿命への覚悟は

整えておかなければならない

老眼が現れて

小さな文字が読めなくなるから

集中持続力が続かなくなる

代謝が悪くなるから

気をつけておかないと

体調が悪くなる

無理が利かなくなるから

仕事にも制限が必要になる

周囲の期待はあるだろうが

それを気にしていたら

残された時間が短くなるだろう

60歳以上のことは分からない

想像もつかない

次世代に期待を込めつつ

ただ

ゾンビらしく

生きていくほかはないだろう

出来るだけ

自分のしたいことをする

あるいは

目標や自己実現の残りを

つかむために

本業以外の時間の割合が

増えていくことになるだろう

生きるとは何だろう

よくわからない

なぜなら、

自分の意志で

生まれてきたわけではないから

I was born.

そう、

生物種のすべての生は

受け身から始まる

生きる意味は

こじつけるしかない

Xのために生きていこう

Yをするために生きていこう、と

生きるということを

何かに言い換えるなら

寿命までに残された時間

ということになろうか

生を受けた瞬間から

寿命という時間を

全うすることだけが

決定する

繰り返しになるが

生きるとは

寿命を全うするまでの時間

ということと同値である

人によって

その時間の長さは違っている

したがって

ひとりひとり

限られた時間の中での生き方、

生き様が生物種の価値を決める

 ・

何故生まれてきたのか

それは考えても仕方がない

いかに生きるべきか

それなら考えてもいい

限られた時間の中で

本業を全うし

限られた時間の中で

自分の自由を全うする

身体が動くうちに

出来ることはしておきたい

身体が動かなくなったら

動かないなりに

出来ることはしておきたい

したいことは山ほどあるから

何もすることがないような

腐った魚の眼をした人間に

ならないように

自然体でいても眼光を保っていよう

人間の幸福は

お金や地位や名誉ではない

最期に

自分のことを

よくよく分かっている人が

ひとりでもいること

それだけだ

人生をお金でプランニングするような

愚かしいことをせず

身の回りの大切な人を

どれほどに大事に出来るか

そのことだけを考えれば良い

生き様が死に様を決める

そこに必要なものは

自分の生き様の価値のわかる

最愛の人だけだ

人生を人との関わり合いで

プランニングするひとは

実にさいわいである。

そのことは

若い人には、まだまだ

理解できないかもしれない