連想ゲーム 〜素人na毒舌 音楽談義〜

平成から昭和まで

 

ユー・エス・エー(DA PUMP)

 

ユー・エス・ジェー(USJ)

 

懲りずに続けるけど

 

すばらしい

ワーイ・エム・シー・エー(HIDEKI KANGEKI!)

 

ジェイ・オー・ディー・エイ・エヌ(海援隊)

 

老若男女

ダンスして楽しもう、ってか

 

今時、八十年代の

ユーロビートなテンポがはやるなんて

仕掛ける人も楽しそうだね

批判しているつもりは全くないけど

知らない人となつかしく感じる人の

両方を引っかけて売り上げを

伸ばしているようなもんだ

お見事だね

 

お笑いの世界で言えば

バブル期を持ち出してくる芸風みたいなもんだ

ノスタルジーを、新しいと考えるかどうか

 

似たような理由で今時のテクノサウンドも

テクノロジーが発展して、当時出来なかったことを

補充作業的に、今やろうとしているのだろうか

 

僕個人の記憶をたどると、

もともと70年代後半ぐらいから

ドラムとベースが作り出していた雰囲気に

コンピュータが導入されて

グルーブ感が消えてしまったことに

とんでもないカルチャーショックを受けたんだけど。。。

揺らぎのない音にも心地よさがあるのかと。

 

そのうち、飽きてしまって

やっぱりグルーブ感のあるアナログな?音の方が

心地よくなった

熱病にかかっていたような錯覚があったのを

今でも覚えている

 

そういう新しさは、今時のものには感じなく

なってしまっている

 

懐古趣味な感覚で

僕はPerfumeにちょっと引っかかったけど

その理由は

キャンディーズがアイドルサウンドではなく

テクノポップに乗っているような

違和感に興味が向いたからだ。

悪い気は全然しない

 

かりに、音楽性は高くなくても

よりビジュアル、よりアクティブでなければ

人が寄ってこない

CDが売れない時代だから

商業路線に乗るためにはやむを得ないのだろうか

 

ほんとうは高い音楽性こそが

身体表現を導くもののはずなのに

ニワトリが先になってしまった

 

音だけで環境を整えないと

音楽が可哀想に思えてくる

 

もちろん

映画音楽はまた別だ

ダンスミュージックもまた別だ

 

それにしても、

数え切れないほどの人数の

踊る姿を見せつけられるのは

僕には迷惑な話だ

 

取り囲みの踊りは、

我々が聞く様な普通のCDの音源には

残らないのだから

本質的な音楽性からは、ドタバタしたノイズ音で

瞳を閉じれば、一瞬で消えてしまう

はかないものだ

 

エンターテイメントに音楽が利用されて成り立つ

全く別のジャンルなんだろうね

ああいうものに音楽性を求めない方が

気楽に“みられる”んだろうね

 

バグルスの「ラジオスターの悲劇」っていう曲や

クイーンの「Radio gaga」っていう曲を

思い出してしまうのはなぜだろう

 

音楽って

CDやレコード、ラジオから流れてきて

良し悪しを判断するのに慣れている世代

に育ってきたから

やっぱり、音を軸として考えてしまう

聞き心地が良いとか、わるいとかって。

 

ビジュアルが新しいと思えた時代は

やはり僕の中では、80年代に終わっていて

今のビジュアリティは、新しいわけでもない

 

にしても、

日本のユーロビートは特殊だね

日本に限っては音楽業界のなかに

ずっと、はまり込んで

潜伏し続けているのかもしれないけど

ATLウイルスのように。

 

あと百年もすれば

日本民謡の一ジャンルとして

位置づけされているかもしれない

 

これはとても深い話だと思うけど。

 

音楽の中のアール・イマキュレって

何だろうって考えると

リズム感、ハーモニー感、メロディ感、ベース音感とか

だろうか

 

歴史は繰り返す

だけど

経験則の組合せにない

不思議な感覚に巡り会うとき

カルチャーショックをうける

この時ばかりは

連想ゲームが役に立たないんだ

 

最近は、めっきりショックを受けなくなった

なかなか出てこない。

そういうのが。

あれとあれの組合せか、的なジャンルばかりで

少々退屈しているかもしれない

連想ゲームばかりで。