過去

過去は変えられない

しかし

過去への評価を変えることはできる

 

良いを悪いと考え直す

悪いを良いと振り返る

 

自分自身を負け惜しんでいながらも

自分を正しいと思いたいと考える

その時、

人間は自分の過去を肯定することしか

出来ない

 

過去が正しければ

正しい今があるのが道理

 

それなら

過去は肯定できる

 

そして過去に起源を持つ

現在と

夢みる未来が

含まれている

 

正しい今がないのに

過去を肯定するのは

過去の自分に現在の自分が支配されている、

不可解にプライドの高い、愚かしい人間の

自分自身に対する負け惜しみでしかない

負け犬と呼ばれても、他人事にとらえてしまう

本当にそれでいいのだろうか

 

冷静さと客観的に自分を見る

視点を見失い、

自分を正当化するための

理由ばかりを考える

 

客観的に

自分を見ることができなければ、

正しいと思っていたことが

実は、間違っていたか

思い上がった勘違いであったという、

その真実に気づくことが

なかなかできない

 

夢のない現実に縛られ

一層現実的に

物事をとらえる思考回路に

頭が作り替えられてしまっている

 

なぜだろう?

簡単だ。

過去への評価が間違っているからだ

 

そうなってしまった今は

どこかで何かを間違った、

過去のせいであることに

気づくのは難しい

認めるわけにもいかないから認めない

ある種の日常的に洗脳された状態に等しい

 

自分を客観視するために一番必要な

他人の意見に耳を傾けることが困難で

他人の意見を受け入れようとすると

自分の考えに整理がつかなくなる

日常的な洗脳状態であることの証拠の一つ

過去の自分に現在の自分が洗脳されているのだ

 

正しく支えになった言葉や事柄や人々は

時間がたっても

輝きを失うことは、決してない

 

輝きを失ってしまうような言葉や事柄や人々など、

それを正しい支えと考える自分が

間違っていたのだ

愚かな状態にあった自分に

味方にしてくれる言葉や事柄や人々を

都合良く選択したに過ぎない

 

正しい選択肢に気づけない愚かしい自分が

ただ、その過去の時点に

存在していただけだ

 

そんな過去から生み出された

現実の処理に翻弄されて

それが片づくまで、

実は未来すら含まれていなかった

過去から続いてきた現在に

自分が存在しているなど

気づけるだろうか

 

未来に気づけなかった過去は

現在を台無しにする

 

過去を肯定できるのは

正しい今があるときだけ

 

正しい今がないのなら

過去を否定しないと

正しい未来も来ない

 

過去の自分に洗脳されている

現在の自分から

脱却できなければ

立ち位置が不動のものになり

新しい自分を生み出し

飛躍することなど出来ない

 

過去は変えられない

しかし過去の評価は

変えることができる

 

愚かしい過去の自分を

間違っていたと否定できてはじめて

新しい道が開ける

 

それがない限り、

新しい道を夢見ることもできず

そうすることのできる人を

うらやましく想うのみに

終わるだろう

 

誰しも

自分は間違った選択肢を選びながら

人生を前に進めてきたとは

思いたくない

 

しかし、

過去への評価を変えないかぎり

自分が変わっていくことはないだろう

 

過去への評価を変えることは

自分を変えることにつながっていくのだから

 

過去を否定して初めて

見えてくる真実もある

 

過去は変えられない

しかし過去への評価は

変えることができる

 

十代の若者も大人も

老若男女を問わず

過去の自分に現在の自分が

洗脳されたままであってはいけない

 

輝きを失わない言葉や事柄や人々を

自分の人間形成に取り込み

飛躍しようとする態度は

生涯、持ち続けていくべき大切なものだ