道義的責任

人となりが

尊敬できるなら

どこまでも

ついてゆくだろう

人となりが

好意的に

受け入れられるなら

自分の非を改めることを

まず最初に考えるだろう

真に

尊敬と好意があるなら

ワタクシは自分の身を滅ぼしてでも

ついていく覚悟を選ぶだろう

それは人から言われて

自分の考えを

改めるのではなく

あくまでも自発的な道義に

基づいて行うものだ

他人がとやかく

言うものではない

ワタクシは

特殊な人間なのだろうか

だとしたら、

自分の考えを軸にして

他人に迷惑を

かけていることになる

申し訳ないが

ワタクシは

自分の考えを軸にしか

生きてはいけない

たとえ、共感を得られず

独りになってさえ

去る者は追わず

自分標準で生きてゆく

自分の人となりが

尊敬に値し

好意的に受け止めて

もらえる存在であるなら

自分の生き様は

間違っていなかったことになる

そうでなければ

自分の生き様は

間違っていたことになる。

それもよかろう

面倒くさい考えは

性分に合わず

自分の道理に合うことに

重きを置いて

我が道を歩く