階段の手すり
老朽化したマンションの階段。二階から三階
へ上がる踊り場に、白いペンキがはがれて木
目が露出した手すりが、残っていた。
数え切れない人たちが、この部分に触れて、
階段を上り下りした。かつてはバクテリアと
真菌とウイルスが同居していたが、廃墟同然
の二十年の間に、バクテリアとウイルスが去
り、一週間前に真菌すら、立ち退いてしまっ
た。バクテリアとウイルスは、割れたガラス
窓から入ってきた突風にあおられ、無表情に
吹き飛ばされてしまった。真菌はそれでも湿
気にしがみついて、その部分から離れようと
しなかった。このところ一週間、日照りが続
き、頼みの湿気も消えてしまったために、真
菌も覚悟を決めた。やはり無表情なまま、す
きまの風に運ばれていった。
ふと立ち寄った階段。不随意な足の筋肉が階
段をスライドさせ、目的地へ向かっていた。
無菌化されたあの踊り場の手すりにもたれて
いると、重い足音が響いてきた。二十年前に
その場所で口論した相手に会った。相手は表
情を変えず、口だけに力を込めて謝罪した。
「冷静に自分のことを見直すことができるま
でに、時間がかかりました」そういって、階
段を降りていった。
「もうこの手すりに手を置いても、ほこりも
なにもありません」そういって、見送った。
風が吹いて、時間が流れ出した。階段の手す
りは、木目すら消退し、無生物となった。
( 詩と思想 土曜美術出版販売 2015.12.入選 )