音葉
雑踏の足音をかき消すホワイト・ノイズ。ひ
とけのない竹林から、鹿足の飛躍が地を揺ら
し、車道に仁王立ちする。大鹿は場所を譲ら
ない。車から時の鐘を放っても、知らぬ顔を
する勇者となって現れた。屹立した胸板を誇
らしげに輝かせて、後ろ足に付着した泥塊を
払い落とした。程なく、キラパタ、キラパタ
と金色の砂糖菓子が背中からこぼれ落ちる音
がした。
竹林の静けさとの対話を邪魔するなと、横目
でにらんでいる。風が通り過ぎる。ざんざめ
いた竹のしなりに驚いて、飛び上がった前足
を高く伸ばして姿を消した。
竹林の奥底から鹿鳴の哀愁が、ようやく耳に
残って、車を坂に滑らせた。道を開いた、あ
の黄金色の大鹿は、竹林の館へと遠のいてい
ったのだろうか。
風の振幅に驚嘆し、声の文目に、思わずさえ
ずる。ウインケンシュタット、ウインケンシ
ュタット。振戦する両手で、不随意な勇気を
つかんでいた。腕には羽が生える音が来た。
午前四時の暗闇の宇宙に、シャラシャラと、
シャラシャラと、腐葉土に練り込む足音だけ
が響いていた。土の収まりの中に、細音の翳
りが実にまぶしく浸透していった。
かごやかに、竹林の里に時間が流れ始めてい
た。黒も緑も黄金も、凪のチェーンに閉じ込
められた。朝があからんで鼓膜をくすぐり始
めていた。
竹林の坂を下るたびごとに、車の速度を遅ら
せて、ホワイト・ノイズを待ち焦がれる。
( 詩と思想 土曜美術出版販売 2016.05.入選作 )