雨の香り
古い石畳の街を歩いていた
急に降り出した雨に
心を動かされることもなく
ただ歩いていた
・
狭い路地を
いくつも通り過ぎていくうちに
雨音は小さくなっていった
・
からだがやけに冷えてしまって
コートの襟を立てようとしたとき
ひとりの女が
傘を差してこちらを見ていた
・
雨はやんでいるのに
女の頬には涙が流れていた
涙ぐんだ瞳で一言も言わず
開いたままの傘を差し伸べた
びしょ濡れのコートに
傘を差しても無意味だと思ったが
「ありがとう」と
言ってしまった
・
しばらくそのまま
滑りそうな石畳の路を歩いた
ふたりとも何も言わず
真っ直ぐ前を向いて歩いていた
時々触れ合う肩が
何かを伝えようとしていた
・
いつの間にか
コートは乾いていた
女の頬も乾いていた
・
肩にかけたバックが重そうなので
「傘を持つ手、代わろうか?」
勇気を出して言葉をかけた
女は満面の無邪気な瞳に
生まれ変わったように見えた
そして、急に姿が見えなくなった
・
甘い香りのするデジャブ
そんな言葉が似合う短い時間を
過ごしていたのかもしれない
・
相変わらず俺は
古い石畳の街を歩いていた