アール・イマキュレ
こころがこころのままに
古代も現代も変わることなく
受け継がれてきたのだろうか
時代がこころを区切ったとしたら
環境がこころを区切るとしたら
悲劇の香りで窒息してしまいそうだ
アステカもラスコーも土偶も
醜い争いの様相もなくおだやかで
こころの棘は存在しなかったろうに
二十一世紀でさえ無垢な芸術が顔を出し
こころの同一性を予言するだろう
ありのままに欲求を続ける
ベビーの無垢な泣き声は
時代も環境も変えることの出来ない
真理に芳しい
ベビーの心拍動音が歌っている
少し速く、清廉で
強い欲望と背反する無欲さを秘め
響いてリズミカルな宴となり
新しい体の一部始終に血液を運搬しながら
耽美な音楽を創作し続けている
一分間に百二十回のビート音の妖精が
新しい命を育んでいる
ホモサピエンス・サピエンスの生きた頃も
ビート音の奏には変わりなかったと
想像して、温かくなる
縄文模様を器に付ける瞬間の指先と
スマホの画面をスライドさせる指先が
変わらぬようにと
祈り続ける妖精たちが
ビート音に乗って体中を駆け巡り
こころが変わらないよう
きっと、ずっと、見守っている