ことわざの功罪

猫を被る

馬の耳に念仏

猿も木から落ちる

まさか

猫をかぶっていた

だなんて

わたくしなら

奇しくも先見の明を

持たずして

油断した束の間、

それを見抜けずに

さながら

大きなしくじりを体感し

心の深い部分に

痛手を負うことになるだろう

自分の心象は

せせら笑われて

自尊心が奈落の底に

叩きつけられ

精神がバラバラになる

これもさしずめ

因果応報と

いうのだろうか

気概もなく

頭の中が真っ白になって

正常値を取り戻すまでに

時間がかかる慢性疾患に

のりうつられそうになるだろう

雪の華が咲くには

まだ早いが、

「犬は喜び、庭駆け回る

猫はこたつで丸くなる」とは

よく言ったものだと

童謡を口ずさむ

そうだ

わたくしには犬や猫や猿と

共存する選択肢がない

桃太郎のように勇敢に

小動物を従えて

鬼退治へ出かける勇気もなく

金太郎のように

クマを投げ倒す

力持ちでもない

得てして

小動物たちなど云々と

話す資格もない

鑑みるに

癒しを

人間と自然の風景以外に

求めたりできない

輩であるのだろう

もし、

猫を被るなら

墓場に辿り着くまで

被ったままでいるのが

きっと、優しさ

と考えてみたりする

猫を被るって、

嘘をついていたってこと

役割を演じていたって、考えるなら

嘘はない。

「猫を被る」「役割を演じる」

この二つの表現には雲泥の差がある

生きている間に、

本当の優しさに

出会えるのだろうか

それが実存するのかさえ

わたくしにはわからない

記憶が確かなら、

ブッダの言葉に

本当の優しさとは、

知恵と慈悲の融合である

とあったが、

その本義が

まだ理解できていない

だけなのかもしれない

そんなときには

こんなふうに思うことにする

永遠の命を得るために

銀河鉄道999に乗り込む

哲郎くらいが

ちょうど良いのかもしれない

ガンダーラを目指して

旅を続ける

孫悟空くらいが

お似合いなのかもしれない

畢竟、

藍色のため息を吐き

蘇芳色の吐息に

あこがれてみる