思い出と未来像と

思い出というものは

よく出来ている。

それは過去を

振り返るからだろう。

思い出の世界では

苦しい時ほど

楽しかった、

充実していた。

そう思える。

きっと

乗り越えたからだろうが

苦しい現実が目の前にある時

いずれその現実は過去になり

思い出の世界に変わる。

苦しい現実など

いずれ思い出になる。

どんな形であれ

乗り越えられるものだ。

<困難は分割せよ>と

どこからか声が聞こえてくる。

乗り越えられない試練など

存在しない。

なぜなら

現在は時間が経過すれば

必ず過去になるからだ。

実現不可能な空言と

他人が幾ら言ったとて

自分の未来像を持つことだ。

誰に何を言われようとも

未来のビジョンを考えている人は

さいわいである。

現実にくじけ

未来を信じない人間は

思い出の世界の中の

よかった部分だけを

振り返ることに浸り

未来はいつまで待っていても

来ることはない。

思い出の写真ばかりを見ることは

放棄して前を向くことだ。

「あの頃はよかった」

それしか

言えない人がいるかもしれない。

人間にとって、その生を支える

思い出は、形に残せない。

意識・無意識領域の狭間にあって

目に見えないところで支えている何かは

写真には収められない

不可「視」議なモチーフ。

音楽であったり、

絵画であったり、

文学であったり、

あるいは映画かもしれない。

あくまでも本質の類比事象を

たどって、その幾ばくかを

確認するほか無い。

「確かに、あの頃はよかった

だけれども、これからの未来は

もっといいことが待っている」

そう考える癖をつけるに越したことはない。

苦しいことを乗り越えた自分に必要なのは

それに浸ることではなく

どんどん苦しいことに挑戦すること。

そんな延長線上に未来がある。

今が最高だと鼻高々に構えている

勘違いな愚か者は

盛者必衰の理に

罠をかけられることになるだろう。

大切なのは

未来像をもち

今を精一杯いきること。

人生にピークなどない。

それは未来の中にある。