時代の変化

マルクス経済学と近代経済学

いわゆる、マル経と近経

それがいつの間にか

マクロ経済学とミクロ経済学

もっともその大別の仕方自体

すでに古くなっている

経済とは、経世済民

すなわち

世の中をおさめ、民をすくうこと

ところが経済学は

そのアプローチに用いる手法は

数学を基礎に置いた

データ解析が中心になるから

理系の実学である

数学の素養のない人が

経済学部に進んでも

経済学の面白さを理解できないだろう

医学部に入る前に経済学部に

在籍していた事があるので

差分方程式のテキストとか、

振り返ってみると

ちょっとしたノスタルジーを感じる

今ならPythonとか、データ・サイエンスの

前提であるようなコンピュータ言語も

知る由もない時代だった

時代とともに

学問のカテゴリー分類は変化してゆく

学問体系ごとにカテゴライズするにしても

それを自由な思考の放たれた一つの牧場の中で

シャッフルしてしまうことが必要だと

賢人たちが気づき始めたのは

日本ではおそらく90年代ごろだろうか

様々な領域の思考が触手を伸ばして

変幻自在に形を変えていくほうが

人間の脳は喜ぶだろう

一つの技術革新の精度を高めるより

いくつもの技術革新を

四則計算的にリアレンジしたほうが

何十倍もあたらしい世界が見られるだろう

時代の変化は超加速化している

10年後に

どのくらい世の中が変化しているか、

考えたことはあるだろうか

目の前の日常とマスメディアの流す情報に

触れるのが精一杯であるとするなら

間違った未来を見ていることになるかも知れない

自分の好きな情報ばかりを収集して

バイアスのかかったものの見方になるのも

面白いかも知れないが、

自分の興味とは無関係なところに

未来があるとするなら

バイアスをかけた情報と

バイアスをかけない情報の

両者を自分の中に取り入れて思考していないと

いつの間にか

大衆的発想しかできなくなってしまう

挙げ句に

「個」としての迷子になるだろう

これからの時代を生きる人たちは

バイアスのかかった老害たちの考え方は

参考にするにとどめて

自分の頭で状況判断できるよう、

自分でバイアスをかけない思考トレーニングに

身を置く方が良さそうだ

偉い人の言うことが

必ずしも正しいとは限らない

畏敬の念を忘れるのは良いことではないが

偉人の言葉を鵜呑みにしてはいけない

時代は絶えず変化しているから

それに合わせた咀嚼力が必要

畢竟、必然の結末として

時代の変化とともに

その時点での正しさを

自分の頭で判断することが大切になる