本当の意味を考えるきっかけ

  高校時代、学校をサボって友達の家の2階で麻雀をしたことがあった。友達の家の向かいの家では、お葬式をしていた。厳粛な儀式の音を聞きながら、僕たちはガチャガチャと音を立てながら麻雀の勝ち負けに大騒ぎしていた。昔ならありがちのおばかな高校生だった。ところが玄関をたたく音が聞こえてきて、友達の親が平に謝っていた。すぐさま、状況を飲み込んだ僕たちは、なんてことしてしまったんだ、って反省。至極当たり前のお説教を食らった。僕は一生、麻雀をしないと心に誓った。そして、その日から「厳粛な儀式」「死の尊厳」この二つのことをずっと考えることになった。頭から離れなかった。唯一無二の個人の死を悼むにふさわしくない状況で騒いでいた自分が許せなかった。

  医学部時代、自分は小児科医になると決めて医学部に入った。だから「ネルソン小児科」を原書で独学していた。小児科講義には出席せず、自分でやると決めていた。確か金曜日の午後の2コマが小児科の講義だったと記憶する。その時間は代返をたのんで、僕は友達とゴルフの打ちっぱなしにいっていた。夜遅くまで、手首が痛み、腰が痛み、首が痛くなるまで、とにかく7番アイアンで綺麗な軌跡を描きながら思い通りの距離にゴルフボールを運ぶことに熱中していた。あるとき小児科志望の友達と二人で、大学附属病院の廊下を談笑しながら歩いていた。小児科の教授とすれ違った。友達はそのまま入局することを決めていたので教授と親しげに話し始めた。教授は僕の存在に気付き、見かけない顔だが講義で見かけたことがないね、と観察力の鋭い質問を受けた。将来何科に進むのかと聞かれ、小児科と答えると、なら、何故、講義に出ないのかと至極まっとうなことをおっしゃった。「Nelson Pediatrics」を自分で読んでいますから、と答えた。それなら「Nelson」を持って教授室に顔を出しなさい、となった。書き込みがいっぱいの、線を引きまくりのネルソン小児科学を持って、教授室にお邪魔した。教授は僕が本気で小児科の勉強をしている事実を認めて下さった。そこまでやる気があるなら、毎週来なさい。そうおっしゃった。それから何度も何度も教授室に足を運び、何千枚ものスライドやフィルムリーディングを教えていただき、見ただけで何の疾患か、どういう病態か、染色体異常の可能性はどうかなど、あらゆることを教えていただいた。自室に戻ってはネルソンと照らし合わせながら復習をし、翌日には図書館へ行って関連文献を探してコピーしては読み、学生ながら、おそらく研修医よりも格段に知識も診断能力もついていただろう。講義を聴く意味は、そんなに無かったとは思ったが、一生、ゴルフはしないと決めた。

僕の辞書には麻雀とゴルフはない。

だけど麻雀のおかげで、「死の尊厳」を真剣に考えるようになり、ゴルフのおかげで、途方もない小児科医として必要な知識を身につけるきっかけを得た。

麻雀X→死生学〇

ゴルフX→小児科学〇

そんな紐付けが脳細胞を正しい道に誘導してくれている。

僕の辞書には麻雀とゴルフはない。

何の脈絡もない事象から、別の事象の本当の意味を得た。

いいのか、わるいのか。

とにかく2つの出来事が僕の人生に大きな影響を与えたことだけは確かだ。