東京オリンピック
まだ、やるつもりなんだ
1年前から無理じゃないのって
思っているんだけどね。
歴史的には
アスリートたちには無縁の
政治的な理由が主体の
オリンピック・ボイコットという
形をとって不参加国がでることがあった
わかりやす例で言うと
1980年のモスクワ・オリンピック
「頑張れニッポン!モスクワ は近い!」と
CMが流れていて、
それなりの盛り上がりがあったが
旧・ソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、
集団ボイコットという事態に至った
参加予定アスリートたちの無念の涙を
今でも忘れることが出来ない
今回は
ワールドワイドな
パンデミックの真っ只中で
感染から人々を守ろうという発想が
一番にあるのなら
世界中の人流を抑制するのが大義名分
それをはねのけてのオリンピック開催は
医学的見地から、
あり得ないと考えても、
間違いではないでしょう
そんなリスクを
冒してまでやるものなの?
New York Timesなどでは
「東京五輪が一大感染イベントになる」と
揶揄されているのが現実
やめませんか
東京オリンピック
実力のある真のアスリートが
みんな集ってその能力を正々堂々と
競い合うのが
オリンピック精神じゃないのかな
経済効果目的や
国家のある種の名誉願望のせいで
オリンピック精神は、随分、
汚れてしまった
個人的な感想を言うまでもなく
開催は不可能であると
判断されるだろう
ギリギリの段階での
政治的判断として。
現状このCOVID-19パンデミックに対する
判断のタイミング・政策をみていると
人の命に関しては
政治家は無力な方が多いと
考えざるを得ない
専門家を集めて分科会を作っても
意見がすんなり受け入れられている
イメージがない
もちろん、野党の議員たちと同じで
批判するだけなら簡単な話だ
わめいているだけで、余り意味がない
結果にコミットしていない
アスリートが政治家に転身した瞬間
がっかりしてしまう
”あんなに感動をいただいた”
柔道家、スケート選手、水泳選手たち・・・
あれは何だったのでしょう
そして、そういう人のことは
忘れるようにしている
本来のオリンピック精神を
呼び戻すなら
政治や経済効果とは
別の次元で
オリンピックが開催される時代が
来ることを望んでいる
アスリートたちが主体となって
純粋な競技精神を
声高々に主張できないシステムが
今の世界にはあるのでしょうか
アスリートが政治家に転身しても
そういうシステムの変革が
何も起こっていないようにしか
思えない
知らないだけだろうか
それとも
「すえは博士か大臣か」
なんていう古くさい考え方から
脱皮できない人が多いのだろうか
おそらく潜在しているはずの
「政治家的野心」というものが
どうしても理解できない
COVID-19よりも
遥かに、たちが悪そうだ
ワクチンも治療薬も存在しない
これからも、きっとそう。