歌謡曲
歌謡曲の歌詞は
テーマのほとんどが
誰もがアクセスしやすい
身近な恋愛関係ばかり。
ある意味
どんな曲調であっても
安心して聞ける。
でも
何だか疲れる。
意外性がないので
心が躍らない。
あきれるくらい
例のパターンばかり。
それが流行の方程式。
もちろん、
日常性の中に
社会性や
哲学性を兼ね備えた
楽曲も中にはある。
それは
はやりの歌謡曲とは
区別して聞いている。
歌謡曲とは
呼ばないようにしている。
歌謡曲っぽくない曲とでも
言えば良いのだろうか。
たとえば、
加藤登紀子とか
沢田研二の曲がそうだった。
小中学生の時でさえ
歌謡曲っぽくない曲だなと
感じて聴いていた。
昔、
谷川俊太郎の詩に
坂本龍一がメロディーを付けて
ビートたけしが歌った曲があった
確か、「たかをくくろうか」
高2くらいかな
40年ほど前の曲だ
とても聴き心地のいい曲だった。
音楽だと思った。
ビートたけしの詩に
玉置浩二が作曲した
「嘲笑」とか
松本人志の詩に
槇原敬之が曲を付けた
「チキンライス」とか
どれもこれも優しい
耳だけで聞ける音楽。
エンターテインメントとして
ダンスを取り入れた
魅せる音楽でいいものは
邦楽にはほとんど見あたらない。
目障りな集団ものが多い。
誰もマイケル・ジャクソンには
なれない。
今でも
歌謡曲を聴く時、
はたまた例の恋愛パターンだ
これって音楽?って考えて
聴くのをやめることがある。
歌謡曲は歌謡曲として
聴けばいいだけなのに。
わたくしは
変わり者なのだろうか。
変わり者でいいです。