賢者と愚者
愚者とは、
「残水の小魚、食を貪って
渇死するを知らず」
と例えられるように、今の生活がいつまでも続くと思い込んで、先のことを考えずに目先の利益だけを考える人のこと。
賢者とは、
無常の世間に気づき
先を読んで準備することの出来る人のこと。
これからはAIの時代。生き方、職業、物の考え方、日常生活のすべてがダイナミックに変化していきます。
高齢化社会ですから、昭和生まれのクラシックな考え方や発想が主流ですが、それだけでは上手くいかなくなります。
80年代に華やかだった職業はどれもこれ残念ながら消えていかざるを得なくなります。すし詰めの満員電車通勤は次第になくなっていくでしょう。
昭和感覚で職業選択するのは時代錯誤になってしまいます。先見の明のない昭和生まれの人に相談しない方がいい場合も多くなるかもしれません。
来るべき時代の先を見て下さい。
商談とか販売とか運送とか、そういうキーワードで成り立っている職業は、大部分が人工知能の役割に変わりますから、経営サイドのみが残り、従業員はいらなくなるのです。
誰がやっても、結果が同じになる職業や部署はなくなってしまいます。オピニオンではありません。目を背けることの出来ないファクトです。
AIで動くアンドロイドたちは、文句も言わず、働いている者同士でトラブルを起こしたりしません。人件費も福利厚生も考える必要がありません。終身雇用制は過去の遺産、正社員という概念もなくなってしまいます。AIでコントロールされたアンドロイドには有給休暇も必要がありません。必要なのはアンドロイドのリース費用だけです。従業員は、全員が非正社員の立ち位置で、副業制限がなくなりますから、一つの仕事だけをする人は珍しいという時代がやって来ます。長期的展望を持っている経営者たちは、最小限の、会社経営上必要な人間のみを雇用し、会社の組織を出来るだけAIを用いて、よりシンプルな体系づくりを目指していくことになります。
スマホで用が足せないものは残っていくでしょうが、それ以外はAIの進歩とともにスマホ一台あれば何でも済んでしまうなら、人間がわざわざしなくてよくなるのです。いくら計算が速くてそろばんが上手くても、そういう単純作業はAIには勝てません。自慢できなくなるのです。
ところが一方で、
こだわりのある職人気質はAIには負けないでしょう。
ごく単純な例で言えば、
あの大将の店に行きたい、とか
あのひとの作った〜を着たい、食べたい、とか
あの先生に習いたい、とか
あの先生に相談したい、とか
職人気質はAI時代に決して逆行するのではなく、AIの時代だからこそ生き残る、人間という曖昧な生き物の大切な特性なのではないでしょうか。
個人的には、「マニュアル」とか「トリセツ」と言う言葉が好きになれません。
それがないと安心できないという他の人たちが迷わないように、目を通して、仕方なしに頭に入れておくだけのことです。
それを見れば、それを読めば、誰にでも出来ることって、あまり興味がわかないようです。
それこそ、時期が来れば、AIに丸投げします。助かります。
先を見るアンテナを張りながら、自分らしさ=職人気質に磨きをかけていたいものです。