顔だけになった石仏さん ( 創作童話 1 )
むかしむかし、京洛の町外れの大倉山に、身の丈五尺三寸ほどの石仏がありました。
とはいっても、その石仏は、顔だけしかありません。なぜ顔だけなのか、誰も知りませんでした。
顔だけの石仏の前には、いつもお花とお餅がお供えしてありました。
手を合わせて通り過ぎて行く人もあれば、なかには、顔だけの石仏は気味が悪いとみえて、横を通り過ぎるとき
「くわばら、くわばら」
と言って、見向きもせずに足早に去って行く人もいました。
近くの村人で、毎日毎日、朝早くから、お花をお供えして、手を合わせるおばあがいました。
ある晴れたさわやかな風そよぐ5月吉日、おばあはいつものように顔だけの石仏の前にやってきました。背中には、おんぶ紐でぎゅっとくくられた初孫の男の子もいました。
おばあは手を合わせて、何かぶつぶつ言っています。
「石仏はん、石仏はん・・・。」
「何か聞こえるぞ。何と言っているのだ。ふむ、ふむ、そうか、よく、わかったぞ。」
誰にも気づかれないのですが、実は、石仏は、目を覚ましていたのです。お供えしたお線香の火が消え、おばあが孫を連れて、遠くに姿が見えなくなると、石仏さんは、また目を閉じてしまいました。
それから何年か過ぎました。
いたずら好きの男の子が、顔だけの石仏さんを背中にしてもたれていました。そして、振り返り様、石仏さんの鼻の穴を木の枝でほじって遊び始めました。
「こりゃたまらんわい。はっ、はっ、ハクション!」
思わず、石仏さんは、くしゃみをしてしまいました。男の子は、驚きました。目はまん丸、ほっぺは真っ赤。お尻は泥だらけです。
「ごめんなさい。ごめんなさい。悪ふざけでした。バチを当てないで下さい。おばあみたいに、毎日、お花、持ってきますから。」
そういって、泣きそうになるのをぐっと我慢していました。
「本当か。本当だな。なら、それでよかろう。」
そういって、石仏さんは、また目を閉じました。
次の日から、男の子は、来る日も来る日も、お花とお線香を持って、石仏さんの前へ現れるようになりました。
ちょうど一週間たったある日のことです。
いつものように、男の子は石仏さんのところへやってきましたが、手にお花を持っていませんでした。石仏さんは目を開けて、
「どうしたんじゃ。花は忘れたのか。」
と男の子に語りかけました。
「今日はね、ほら貝を持ってきたんだ。いい音がするんだよ。石仏さんに聞かせてあげようと思ってね。」
男の子は、その前日、家の前を通りかかった山伏の行者さんにほら貝の吹き方を教えてもらいました。あまりにも上手に、吹けたものですから、行者さんは男の子にほら貝を授けたのです。
「自慢のほら貝だ。ほうら、いくよ。」
空高らかにほら貝の音が鳴り響きました。
「すばらしい音じゃ。すっかり目が覚めた。何という透明な音じゃ」
男の子は、満足げに石仏さんの前に座り込みました。
「石仏さん、どうして顔しかないの?」
と、男の子は石仏さんにたずねました。
「そうか、聞きたいか。それじゃあ、話を聞くがよい。千年ほど、あちらこちらと、散歩をしておったんじゃ。そして、この土地に辿り着いた。ほら、ごらん。ここから眺める京洛の景色は、今も実にすばらしい。私はここに座り込んで、また千年ほど、瞑想にふけっていたのだ。まさに無の境地で毎日を送っていたのじゃ。ところがどうじゃろう。ふと気がつくと、首から下は土に埋もれてしまっていたのじゃ。まあそれもよかろうと、また瞑想に入って無の境地におったのだ。」
「そんなに長い間、どうして、じっとしていられたの。」
男の子は、もう一つたずねてみました。
「無の境地じゃ。まだまだ、わからんじゃろうなあ。」
男の子は、じっと石仏さんを眺めていました。
「それにしても、ここはもうすぐ大雨が来る。山が崩れ、おまえが歩いてきた山道は全部川に変わってしまうのだ。そら、お逃げなさい。早う急いでお逃げなさい。」
石仏さんがそういった途端、ピカッと雷が鳴ったが同時に、大雨が降り始めました。
一寸先が見えないくらい激しい雨です。稲光がしたかと思うと、地響きがして、男の子は立ちすくんでしまいました。
「怖いよう。」
「さあ、走るのじゃ。前を見て、走るのじゃ。」と言って、
石仏さんは男の子に大きな息を吹きかけました。男の子は、一目散に山道を下って、走り出しました。
雨がますます激しくなり、山が崩れ、山道が濁流に乱れる川のように襲いかかってきます。
石仏は、その濁流を食い止めて、男の子が走っていく姿をじっと見守っています。不思議なことに、石仏に当たった濁流はきっぱりと左右に分かれて二つの大きな川となりました。そして、男の子には意地悪をせずに流れ去っていったのです。
男の子はずぶ濡れになりながら、ようやく村まで辿り着きました。
家に帰って、その日あった出来事を話しました。
「なにを夢みたいなことを言っているのだよ。」と、相手にされませんでしたが、お仏壇に飾られているおばあの写真は、いつもより、にこにこ笑っていました。
大雨の濁流で洗い流された石仏さんは、埋もれていたからだが全て元通りになっていました。
「さてさてひどい雨じゃった。寸寸積んで丈六の石仏かな。」と言いながら、ずっしりと立ち上がりました。
「何と、まあ、美しい。」と、京洛の町並みをまじまじと眺めました。
そして、ほら貝を吹くのが上手な男の子を想って、こう独り言を言い始めました。
「そういえば、おまえのおばあは、いつも手を合わせてくれていた。願い事もせず、日々ありがとうございます。日々ありがとうございます。ただそれだけじゃった。一度だけ、つぶやくような小さな声で、おまえの無事を祈っておった。私にはその気持ちが伝わった。いつの世も、先に生まれたものにとって、後に生まれてきたものこそ、たった一つの宝物なのじゃ。おばあは極楽で、心安らかな毎日を送っておるぞ。いつものように、手を合わせて、日々ありがとうございますと。実に、心正しいお人じゃ。おまえも、おばあのように、日々手を合わせて、まっすぐに精進する人間になるのじゃよ。」
そう言ったかと思うと、いつの間にか、石仏さんの姿はどこにも見あたらなくなっていました。
夢か、うつつか。